インスピアノの日々

インスピレーションのままにピアノを弾き、旅するように日常を生きる。その記録。

実家にて

先日田舎に帰省した折のことを書いておこうと思う。

あまりインスピアノとは関係ないようにも思うけれど、どこかでつながってくるような気がするので。

 

実家には認知症を患っている母を一人で看ている父。84歳。趣味で絵を描いている。

母の認知の症状は進み、徘徊など、目が離せない。日常の家事もほとんどが父がするようになっていた。

最近は一人で着替えもしてくれなくなってしまって、下の世話を含め、お風呂も入らせるのがしんどくなっている。

 

ほとほと疲れながら、デイサービスに週2回ようやく通わせることに了承。しかしグループホームや入居施設に入れるのを嫌がり、なんとか自分一人で母の面倒を見ながら頑張るんだとガンバっている。しかし、趣味の絵もかなり本格的に続けており、たまに展覧会などがあると、搬入搬出、当番などで一日かかることもあるので、ショートステイを利用するようになったり、少しずつ介護サービスに頼るようになってきた。

 

最近母はお昼寝をするようになり、昼夜逆転の生活になり、夜の徘徊が始まってしまった。深夜、牛丼屋のところで発見されたり、ものすごく遠いところまで歩いて行って、おまわりさんのお世話になったことも幾度かあったらしい。

もう夜の徘徊ともなると生命の危機なので、さすがに遠く離れているこどもたちも、連絡を取り合って、兄二人と私だが、ケアマネさんと話し合いを共有したりして、鍵を付け替えたり、色々な方法を模索しつつ、できるだけ父の想いを尊重しながらも、見守る形で今に至っている。

兄は車で10分くらいのところに住むのだが、仕事とかでなかなか帰ることができずにいる。

それも父親のいこじで頑なな性格により、そうなってしまっているのだというのが本当のところ。義姉もなかなか性格が合わずによりつけない状況なのだ。

私自身も今現在は東京に住んでいるので、たまに帰っているが、正直なところ3泊もすればもう心身がへとへとになる。だから2カ月に一度がせいぜいだ。

 

父親のことを見ていると、「もっとこうしたらいいのに、なんでそんなふうに接するの」「相手は認知症なんだよ、なぜわからないの」が出てくる。しんどくなる。

接すると父の「こうあらねば」が出てきて、お互いにぶつかりあう。

よく、身近な相手は鏡だというけれど、そのとおりで、自分の中のエゴとやらとも向き合うことになる。

まるで毎回毎回が魂修行のような帰省なのだった。

 

そして今回は夜なかまでなかなか寝ずに、リビングに来ようとする母を、パンを食べさせておなか一杯にして寝かせつけているという安易な父のやり方に怒りを覚えた私。

身体はどんどん太っていくし、不健康だ。ズボンのゴムがきつい。かわいそう。

一緒の時間に寝ればいいのに、自己中心的に絵を描いたり日記を書いたりと、自分のペースを崩そうとしないからなのだ。そして、些細なことで声を荒げ、手をあげたりする父を今回みて、さすがに体の奥が震えるくらいにやばい!と思ってしまった。母が犠牲になっている!!

 

あの日も、いったん寝た後、母は何もわからない顔で無垢なまま、にこにこして夜11時過ぎになってリビングに降りてきた。

私はその場で、下っ腹に力を入れてにじにじと上に戻した。顔では笑顔を作りながら「もう寝ようね。大丈夫だから。お父さんもすぐ行くからね。」と言いながら。

私は絶対にここを通しません!という強いものがあったと思う。

 

母は静かになって上の寝室に上がっていき、もう降りてはこなかった。

そのとき私の顔を見て一言こうつぶやいた。

 

「こわいよ」

 

その言葉にハッとした。

 

・・・

 

暴言や手をあげることも、辛い思いをさせるけれど、

どうしていいのかよくわかっていない母にとっては、

どんな対応も、やりたいことではないことを無理強いすることは「こわい」ものであるということ。

 

 

やりたいと本心から思わないことをやらされるということは

こわいことなんだ。

母にまた教えられた。

主治医の先生の言葉が思い出された。母は割といつもヘラヘラといった感じで笑っているのだが、恐怖、戸惑い、不安の表れなんだということ。 

 

 そして、このことは父にとっての怖さとも重なるような気がした。

 

自分が面倒を見るんだ!介護サービスに任せることなんてできない。

そういう思いでいる父にとっても

たまに帰ってきた娘が、自分の正しいと思っているやり方にケチをつけて、娘の正しさを押し付けられるということ、それをやりなさいと強制されるようなことはある意味やりたくないことをやらされるのはいやだという「こわい」ことを拒否することなのだ。

だからいつも喧嘩する。自分のやり方を誰にも変えさせないように、文句をいわせないようにする。

 

頑なな心でそれでも頑張って一人母と暮らしている。しかも自分のやりたいこともちゃんとやり、バランスをとりながら、自分らしさを失わずに。

その父の心を

ぜんぜん、わかってなかったな。

自分が良かれと思うことをやることの相手に与える悪影響。

家族は合わせ鏡。

 

とにかく今回は「こわいよ」という母の一言で

いろいろと考えさせられた。

 

私はこうであるということを明確にする

相手との合意の上で何かをするのはいいが

やりたいとおもうことじゃないことを相手に強要しない

 

とっても当たり前のことを教えてもらった。

 

 

やりたくないのにやらされている

そういうことって小さいころからたくさんあったと思う。

 

食べたくないのに食べさせられたり、おけいこだったり、勉強だったり、

いやいやながら何かをやるということが日常だったりすると、

そんなことをいやというのは「悪い子」とみなされ、ダメだから

やりたくなくてもやらなければいけない、とか

そういう風に育つ。

とくにわたしなぞは両親ともに教師の家庭だったので、学校でも家でもそうだった。

 

やりたいことを尊重されるということがほとんどなかった。

やりたくないことだらけだった。

大人がやってほしいという期待に応える癖ばかりがついたので

本当の自分の望みが何なのかわからなくなっていった。

 

人にはやりたいことがある。

それはそれぞれちがうんだ。

それをただひたすらにやること。

 

そんなことをインスピアノで色々試したいんだと思う。

やりたいときにやりたいように弾くインスピアノが私の心を癒してくれるのは

そういうわけだ。

 

 あ、インスピアノとつながった。よかった。