桃初笑(ももはじめてさく)。私のはじまりの日のこと。
旧暦の元旦の今日、ずっとできなかった覚悟を書き記したいと思います。
インスピアノを世に出すんだと、決めて明言したのが2年前の立春でした。
そして、色々なことがあり、昨年2019年の3月11日に座間神社で初めてソロコンサートをしました。
暦によると、七十二候の、「桃初笑(ももはじめてさく)」という日でした。
ジャズピアニストの師が私のインスピアノについて
「私陽子さんのインスピアノ好きだよ」
「あなたに足りないのは確信だけ!、人前に出ることでしかそれは積みあがらない」「とにかくやりたいと思ったことが正解、それ以外他になにかある?」
と、背中を押していただいたおかげです。
コードを勉強しに来たのに、かえってその勉強をすることが私のインスピアノの自由さを妨げてしまうんではないかと、とても大切にしてくださって、あえてコードを教えることよりも、自分の「あり方」についてのお話、そしてその音の秘密についてのエキスを教えてくださった先生に本当に感謝してもしつくせません。
そして一緒にはじまりを経験してくれた友人の存在。
美大を出て、広告業界で絵コンテ制作のお仕事を長年やってきたけれど、
自分の中から湧き上がる表現をするということをしてこなかった・・・そうひしひしとじわじわと何かを感じていた彼女が、私の音を聴いて、感じ取ったものを絵に描いて
とても素敵なポスター、チラシを作ってくれました。
当日も、インスタレーションとして、自分のやりたい表現の作品で会場を飾ってくれたEちゃん。本当にありがとう。彼女とのご縁も不思議。
昨年座間に住んでいた時に、観に行った映画上映会で、春から住むことになる街に住んでいる夫婦と知り合ったのです。まるで未来からの使者のよう。
集まってくれたご縁のある方々、に温かい場を作っていただいて、本当に感謝しています。
はじめて人前で40分も演奏するなんてことは全く初めてだったのですが
会場準備を手伝ってくださった、率直なお人柄のEちゃんの旦那さまが「全く飽きなかった!」とおっしゃってくださって、なんともうれしかったです。
今思えば、とっても稚拙な演奏だったと思います(-_-;)
でもなぜか堂々と、しっかりつながって弾くことができましたのも不思議でした。
水の流れを感じるという感想が多かったのは、そこが水にいわれがあり、御神水が湧いており、そのお水をいただきに来ていたという御縁だったからでしょうね。
2時46分には祈りの時間を持てました。この日を選んだもう一つの理由が3月11という日だったということ。
2時からスタートし、46分にはベルを鳴らしてくださいと頼んでおいたのですが、自然に静かになりました。一人ひとりが心の中の大事な、失われた人との時間や思いをあたたかな意識に変えるような音が出ました。
岩手雫石で出逢った、東京に住む80代の男性も来てくださったのですが、
その方も奥様をなくされて今は一人暮らし。
「思いのほかさわやかな時間だった」と言ってくださって、よかったなあと。
私は岩手とやはりつながっているなあ・・・
こんな不思議なこともありました。
このポスターをあるお店にもっていったあと、その店は家から遠く離れていたのですけど、座間に住む人がそのあと数日たって来店し、ピンポイントでお知らせをする感じになりました。少し心の病があり、しばらく音を聴きたいと思えずラジオも聴かぬまま、10年近くたったというその方が、なぜかここには来てみようと思ってくださり、
最初はマスクで顔を隠す感じだったのですが、帰り際に
「美しい景色を見させていただけました。」と芳名帳に書いていってくださり・・・
その後、メッセージピアノの最初のお客様になってくださいました。
あれ以来おっこちることがあっても、そのボトムが上がったとおっしゃってくださいました。
メッセージピアノと、今呼んでいるのですが、この3月11日のコンサートに最後に手をあげてくださった4名の方に、その方を感じ取って曲を弾きました。
友達では試したことがあったので、できるのはわかっていたのですが、
知らない人でも大丈夫なのか、この日初めてのチャレンジでした。
それが、ある方は、お花畑を意気揚々と歩くような音、また別の方は、川のせせらぎ、キラキラ光る光の音、また、大地をしっかり感じさせるような音、そして壮大な物語の絵巻物のような音・・・・
こんなに個性があるのかというくらい、別物なのでした。
その中のお一人が見えないものを視ることのできる方で、私の演奏中何が視えていたのかをお話してくださいました。
虹色の光が雨のように降り注ぐ・・・
そういう世界だったそうです。
メッセージピアノの時はその方とつながった手から、
その方のオーラというかその方の光の色が、私のほうに伝わり、胸のあたりで宝珠のようにずっと浮かんでいて、ピアノを弾くとその光る色がまたその方のほうへ、そうやって循環していたそうです。
私もみてみたい。
でもずっと目を閉じている。
けれど指が勝手に動き、心が動きます。
慧雨という字を当てたのは間違ってなかった・・・
そうおもいました。
天から降り注ぐ叡智の光をイメージしていました。