インスピアノの日々

インスピレーションのままにピアノを弾き、旅するように日常を生きる。その記録。

「恥ずかしい」・とのたたかい

たとえば、

 

鼻唄をうたってる姿を堂々とさらせますか?

落書きを人前で発表できますか?

無意識のダンス

冷蔵庫整理料理

・・・などなど

 

ひとりでやってることって

誰かから評価されたくないし

人前に出すということは評価が付きまとう

 

 

私は特にそういう外側のことが気になるタイプの人間で

親譲りのひたすら「ええかっこしい」のジレンマ

 

 

「人前に出ることが恥ずかしいと強く思うのと同じぶんだけ

本当は前に出たい。」んです・・・

 

        ・・・・・

 

 

 

 

 

でたらめなピアノはダメ

そんな指の形じゃダメ

楽譜の通りに弾けなきゃダメ

 

いろんな「ダメ」がのしかかってました。

 

今思うとそれは既存の音楽についてのことですけどね。

世の中の一般常識というやつですね。

 

この5年間はいかに世の中の一般常識から離れるかということも

やっていました。

 

テレビはアンテナを取り外し、

新聞は読まない。

 

隣近所の付き合いはほどほどに。

 

親兄弟とも疎遠に。

 

旅人や、自由人、神がかり的な人とのつきあい。

 

なにかに「帰属する」ことを意識的に避けていたように思います。

 

世の中にはいろいろな人がいるものだなあ

 

そういうことをたくさん感じたり、味わったりする中で

自分が今まで抱いていた価値観や

親の教育だったり、

それらは本当はなんなんだろう?

 

外側の評価っていったい何なんだろう?

 

そういうことをつくづく考えるようになっていきました。

 

そして

出逢う人、出逢う人から

私がいままでこうだ!と思っていた既存の思い込みを

ガラガラと覆されるような

ぐちゃぐちゃに壊されるような

衝撃を与えてもらい

自分自身もそこに飛び込み、

少しずつ変化していったように思います。

 

 

それでも

なくならない恐れ

 

でも最後は

 

そんな自分に愛想が尽きたのかも

 

 

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2017年冬、衝動的にピアノのある部屋の壁に描いた「落書き」