インスピアノの日々

インスピレーションのままにピアノを弾き、旅するように日常を生きる。その記録。

インスピアノ誕生のお話~自分のための5年間

さて、古いピアノをデタラメに弾いていたその時に

そのころに出逢ったプロの琵琶奏者の方がこんなアドバイスをくださいました。

 

「自分の為だけに弾きなさい」と。

 

自分の為だけに・・・今思うとこのアドバイスを忠実に守っていたんです。

誰かの前で弾こうとはせずに、たった一人で。

そのころの私にはこの言葉がよかったのです。

 

幼いころに習っていた時は、練習も自分のためのようでいて、

親の為、先生の為、発表会でうまく弾く為・・・

 

自分のために弾いていたかというとそうではなかったでしょう。

 

勉強もそう。いい大学に入るのもそう。

仕事もそう。いい会社に就職するのも。

同じことでした。

 

どうして自分の人生なのに、自分のためにうち込めないのか。

どうしてまわりの人の評価を優先させてしまうのでしょうか。

 

正しいことが自分の外側にあるような気がして

自分の中にあるものは、「ダメ」で、評価されるのが怖い。

 

いつしか、私は本当にやりたいことが、よくわからない大人になっていました。

それがモヤモヤの元でした。

 

そのモヤモヤした思いや、転勤族で、自分の存在証明のために、色々なこと

をするのだけど、結局現実と自分の内面とのギャップに苦しんでいました。

 

ピアノを弾きながら、

こうして音になった感情は、私の耳に戻り、

時には音と共に泣きながら、

ああ、こんな風に感じていたんだな・・・

と哀しみ、怒り、そんなのも自分で確かめながら

ありふれた表現になってしまうのですが、まさに

「内なる子どもが癒されて」いたのだと思います。

 

 

デタラメで弾いても、誰も何も言わない。

それどころか、自分自身の中心が喜んでいる。

 

いきなり弾きたい!となったらすぐに弾く・・・

お客さんが家にたくさん来て疲れてしまった日にも。

 

やらなければならないこととしてではなく

内側からこみ上げる衝動に突き動かされ弾くピアノは

まさに

自分の中からのインスピレーションに従って弾くピアノでした。

 

いつしかそれを「インスピアノ」と呼び

日々の気づきを書き記す行為と並行して、感情、気持ちを音にする行為は

私の生活になくてはならないものになりました。

 

 楽譜を見て既存の曲を弾くことが何となく難しくなり、

インスピアノだけを弾くようになって、

 「自分の為だけに」弾くようになってから

5年がたっていたのでした。