インスピアノの日々

インスピレーションのままにピアノを弾き、旅するように日常を生きる。その記録。

小さいころに習っていたときは

 

さいころ、4歳からヤマハ音楽教室に通いました。

母が音楽好きだったのと、当時(40年前)流行っていたなー。

6,7人ぐらいのグループで、エレクトーンを弾くクラス。

 

「だいすきな、だいすきな、おいしいぶどうの、パンたべよー。」

(ミレド、ミレド、ドドレレ、ミレド)

が最初に習った歌。初めてっていうのはよく覚えているものですなあ・・・

 

そして小学生になり専門コースというのに行きました。

ピアノをちゃんとやるクラス。だったような・・・。

絶対音感なども培われ、・・・・たような?(なんだか記憶があいまい)

どうしてやめたのか覚えていないのですが、

すぐに家の近くのご自宅でやっている個人の先生へ。

 

でも、なんだか練習が嫌だった。

弾きたい曲を弾かせてもらえばよかったのだけど、当時は

一冊の本を「ブルグミュラー」とか「ツェルニー」とか「ソナチネ」、「ソナタ」、「バッハ」・・・・どんどんやるんですが

けっこうスパルタ方式でしたね。

ピアノの面白さ、曲の美しさとかじゃなくて

ひたすらこの音は何指で弾かねばならないとか、形とかそんなのばっかり注意されたりしてました。

 

でもそれでも高校1年までやらせてもらいましたが、

もうピアノは「おけいこ」ごと。という感じで

その後は受験、就職で忙しくなり、実家を出てからはほとんど弾かなくなってしまいました。

しかし、

自分的に好きだったメンデルスゾーンの「ベネチア舟歌」と

バッハのシンフォニアの2曲だけ、暗譜していつでも弾けるように帰省した折に

弾いてました。

 

バッハは3声といって音が3つ入り乱れるやつで、手は2本しかないのにと

感動した曲でした。指の練習ですね('ω')ノ

メンデルスゾーンは無言歌集というだけあって、「うたごころ」がすごくて

抒情的というのでしょうか、好きなんです。

 

 

そんな感じで指を動かすことと、感情を音に乗せるという

最低限のことを無意識ですが、忘れないようにしていたのかもしれません。

 

あと小さいころの思い出としては

小学2,3年生くらいの時だったか、兄がラジオから録音した

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のテープを聴きすぎて、

わかめみたいになり、最後は再生不能になったこと!

 

「わかめになる」ってわかります?今の人。

カセットテープがびよびよになってたんですよ。

くりかえし聴いたんですよ。

そのくらい。好きでした。

レコードとか、そういうの欲しいとかそういうことが

まだわからないほど子どもでした。

 

辻井君よりこちらの方が好きです。

 

 


ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)