インスピアノの日々

インスピレーションのままにピアノを弾き、旅するように日常を生きる。その記録。

自分だけで感じていた、インスピアノの効果

インスピアノを一人で弾いていた時に

たくさんのことが起こり、自分自身が変化していきました。

 

自分の本能

自分の欲求

自分の感覚

 

すべてを取り戻すことが

インスピアノの道でした。

 

 

そしてこの内なる音を奏でることで

 

・身体が整っていく(実際ポキポキと音を立てて背骨がまっすぐになったり)

・感情が整っていく(モヤモヤとして嫌な気持ちや、疲れを感じたときに弾くと、落ち着く)

 

〈音の治癒力〉っていうのは、このことかというくらい

私にとっては必要なものになっていました。

 

ポイントは弾きたいときに弾く!でした。

指が動くままに、めちゃくちゃに。デタラメに。

自分にとって心地よい音を聴かせているんです。

 

 

もう少し駅に近い方へ家を引っ越してからも、

田舎の町だったので、隣の人に気兼ねなく

時間帯も気にせずに弾いていました。

(耳が遠いおばあちゃんが暮すだけの環境)

 

 

 

私の中ではインスピアノのすごさを実感し続けている・・・

 

しかし

これを

世に出すというのは何とも恥ずかしい・・・

 

以前に言われた言葉「自分の為だけに弾きなさい」が

 

呪縛になっていたのかもしれません。

 

インスピアノ誕生のお話~自分のための5年間

さて、古いピアノをデタラメに弾いていたその時に

そのころに出逢ったプロの琵琶奏者の方がこんなアドバイスをくださいました。

 

「自分の為だけに弾きなさい」と。

 

自分の為だけに・・・今思うとこのアドバイスを忠実に守っていたんです。

誰かの前で弾こうとはせずに、たった一人で。

そのころの私にはこの言葉がよかったのです。

 

幼いころに習っていた時は、練習も自分のためのようでいて、

親の為、先生の為、発表会でうまく弾く為・・・

 

自分のために弾いていたかというとそうではなかったでしょう。

 

勉強もそう。いい大学に入るのもそう。

仕事もそう。いい会社に就職するのも。

同じことでした。

 

どうして自分の人生なのに、自分のためにうち込めないのか。

どうしてまわりの人の評価を優先させてしまうのでしょうか。

 

正しいことが自分の外側にあるような気がして

自分の中にあるものは、「ダメ」で、評価されるのが怖い。

 

いつしか、私は本当にやりたいことが、よくわからない大人になっていました。

それがモヤモヤの元でした。

 

そのモヤモヤした思いや、転勤族で、自分の存在証明のために、色々なこと

をするのだけど、結局現実と自分の内面とのギャップに苦しんでいました。

 

ピアノを弾きながら、

こうして音になった感情は、私の耳に戻り、

時には音と共に泣きながら、

ああ、こんな風に感じていたんだな・・・

と哀しみ、怒り、そんなのも自分で確かめながら

ありふれた表現になってしまうのですが、まさに

「内なる子どもが癒されて」いたのだと思います。

 

 

デタラメで弾いても、誰も何も言わない。

それどころか、自分自身の中心が喜んでいる。

 

いきなり弾きたい!となったらすぐに弾く・・・

お客さんが家にたくさん来て疲れてしまった日にも。

 

やらなければならないこととしてではなく

内側からこみ上げる衝動に突き動かされ弾くピアノは

まさに

自分の中からのインスピレーションに従って弾くピアノでした。

 

いつしかそれを「インスピアノ」と呼び

日々の気づきを書き記す行為と並行して、感情、気持ちを音にする行為は

私の生活になくてはならないものになりました。

 

 楽譜を見て既存の曲を弾くことが何となく難しくなり、

インスピアノだけを弾くようになって、

 「自分の為だけに」弾くようになってから

5年がたっていたのでした。 

 

 

インスピアノ誕生のお話~前夜

続きのお話です。

 

さて、結婚し、夫の転勤で秋田、岩手と東北地方に10年ほど住んだころ、

2011年3月11日を盛岡で経験しました。

ずっと夫も宮城の農家のルーツですので、自分で食べるものは自分で作りたい!と

畑を借りたりしていましたが、震災の時に住んでいた部屋が9階だったこともあり、

「地に降りたい」という欲求が増してきました。

 

本当に強い揺れと余震、そしてライフラインが簡単に止まってしまい、

田舎暮らしに漠然とした憧れを抱いていた私たちは

その時に隣の部屋に住んでいた100歳近いお爺さんのお孫さんが

家族で海外に転勤になるというので、建てて間もない木の家に

留守番で住んでくれる借り手を探しているという話に

飛びつきました。

 

その場所は盛岡から30分ほど車で走った岩手山にほど近い田舎の町。

開拓地のそこは隣の家も300メートルくらい離れた一軒家で、

薪ストーブのある平屋でした。

隣の家には馬がいて、近くの岩手山神社のお水を

盛岡にいる時よくいただきに来ていたので、

本当に願ってもない話。

 

そして、そこに、古びたマホガニー色のピアノがぽつんと置いてありました。

家を建てる時に、建築会社のほかの現場でいらなくなって打ち捨てられていたものを

そのまま運び込んだものだそうで、

しばらく調律されていない様子でした。

 

でも、ログハウスのような木造の家でしかも天井がロフトになっていて高いので

すごく響きがよかったせいで

とても音が気持ちよくて、

そのピアノの音色は例えていうなら、「スティング」という

ロバートレッドフォードとポールニューマンの映画みたいなオールドタイムな音でした。

 

 


The Sting Theme (Joplin - The Entertainer)

 

 

デタラメにポロンポロンと弾き始めてみたら

本当に心が落ち着いて、

なんだかあんなに嫌いだったのに、毎日のように

ピアノを好きな時に弾けるというぜいたくな暮らしが

やってきました。

それから、文章教室で出会った方の紹介で、

大人のピアノサークルというものにはいり、

色々な公民館やホールでかわるがわる何人かでそこにあるピアノを

弾くという面白いサークルに入りました。

順番で弾き、待っている人はお菓子などをつまみながら、聴いているのかいないのか。

まるでカラオケボックスのような気軽さ!

 

そこで、久しぶりに楽譜を買ったりして、弾きたかった

ショパンの「ノクターン」とかドビュッシーの「月の光」などを練習して、

楽しかったです。約25年ぶりにピアノの生活が戻ってきました。

 

ピアノの先生をされている方も参加していて、

気楽な会だけれど、勉強になったのです。

色々なピアノを弾いてみる、そして人前でも

発表会じゃなくても弾くという経験は

大きかったのかもしれないな…と感謝です。

 

 

小さいころに習っていたときは

 

さいころ、4歳からヤマハ音楽教室に通いました。

母が音楽好きだったのと、当時(40年前)流行っていたなー。

6,7人ぐらいのグループで、エレクトーンを弾くクラス。

 

「だいすきな、だいすきな、おいしいぶどうの、パンたべよー。」

(ミレド、ミレド、ドドレレ、ミレド)

が最初に習った歌。初めてっていうのはよく覚えているものですなあ・・・

 

そして小学生になり専門コースというのに行きました。

ピアノをちゃんとやるクラス。だったような・・・。

絶対音感なども培われ、・・・・たような?(なんだか記憶があいまい)

どうしてやめたのか覚えていないのですが、

すぐに家の近くのご自宅でやっている個人の先生へ。

 

でも、なんだか練習が嫌だった。

弾きたい曲を弾かせてもらえばよかったのだけど、当時は

一冊の本を「ブルグミュラー」とか「ツェルニー」とか「ソナチネ」、「ソナタ」、「バッハ」・・・・どんどんやるんですが

けっこうスパルタ方式でしたね。

ピアノの面白さ、曲の美しさとかじゃなくて

ひたすらこの音は何指で弾かねばならないとか、形とかそんなのばっかり注意されたりしてました。

 

でもそれでも高校1年までやらせてもらいましたが、

もうピアノは「おけいこ」ごと。という感じで

その後は受験、就職で忙しくなり、実家を出てからはほとんど弾かなくなってしまいました。

しかし、

自分的に好きだったメンデルスゾーンの「ベネチア舟歌」と

バッハのシンフォニアの2曲だけ、暗譜していつでも弾けるように帰省した折に

弾いてました。

 

バッハは3声といって音が3つ入り乱れるやつで、手は2本しかないのにと

感動した曲でした。指の練習ですね('ω')ノ

メンデルスゾーンは無言歌集というだけあって、「うたごころ」がすごくて

抒情的というのでしょうか、好きなんです。

 

 

そんな感じで指を動かすことと、感情を音に乗せるという

最低限のことを無意識ですが、忘れないようにしていたのかもしれません。

 

あと小さいころの思い出としては

小学2,3年生くらいの時だったか、兄がラジオから録音した

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のテープを聴きすぎて、

わかめみたいになり、最後は再生不能になったこと!

 

「わかめになる」ってわかります?今の人。

カセットテープがびよびよになってたんですよ。

くりかえし聴いたんですよ。

そのくらい。好きでした。

レコードとか、そういうの欲しいとかそういうことが

まだわからないほど子どもでした。

 

辻井君よりこちらの方が好きです。

 

 


ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)

 

 

インスピアノってなんだ

慧雨陽子です。インスピアノ弾きをしてます。

インスピアノって何?知ってる人!!

・・・

・・・

シーン

・・・

・・・

 

だいじょうぶです。それが普通です。

 

なぜなら

完璧に私慧雨が作り出した「造語」だからです!

 

 

でもお察しの通り

 

「inspiration インスピレーション」と「piano ピアノ」

または

「inspire インスパイア」と「piano ピアノ」をかけております。

 

 

<インスピレーションの意味>

これは、

「直感からのひらめき・瞬間的に浮かぶ思いつき」

という意味です。

語源はラテン語で、「息を吹き込まれたもの」という意味の言葉。
その意味から、「霊感」「閃き(ひらめき)」という意味になりました。

 

と、「カタカナ語の意味」というサイトに書いてます。

 

私は自分自身が直感のままに弾いていると勘違いしていたのですが

ちょっと直感のままというのとも違うなあと思ってました。

 

何せ、指が勝手に動くので・・・

自分で何かを閃きを得たものを音にしているより

何の思考も働いていないと言った方があっています。

 

この〈インスピレーションの意味〉を読むと

ははあ。と納得します。

瞬間というか、同時。

 

それは

私が閃きを得ているのではなく、聴いている方が閃き

インスピレーションを得るようなのです。

ある風景を思い出したり、過去の記憶や、心の奥に眠っていたものが

浮かび上がってくる、まさにそんな感じのようです。

 

はあ・・・

音ってすごいですね・・・・・

 

 

 

次はインスピアノをやり始めた経緯などを書きますね。

 

 

 

 

 

またブログはじめます。

久々にブログを書いてみようと思います。

 

以前すこし書いていたブログの最後の更新から2年たちましたし、

その間の内面の変化がすごすぎて、なかなか文章化できませんでした。

しかし、今回トルコ旅行に行ったのを機に書き記しておきたいことがあるなあ・・・

そして今日は結婚20周年の記念すべき日!

よし!また始めよう!っていうわけで・・・

 

新しくエレインヨーコとして綴ります。

よろしくお願いします。